2012.08.24 Friday 22:24
ちいさいお子さんに、
「どこを見てるかな?」
という問いに答えてもらう心理学的なゲーム「目を見てポン」。
一回のゲームが16問で終わります。正しく答えられることもあれば、間違えることもあるでしょう。
もし全問正解できたら…きっと我が子の出来の良さにうれしくなるでしょうね。
ではもし間違えてばかりだったら?
がっかりしますか?
それとも、今は視線方向の判断ができないかもしれないけれど、いずれできるようになるさ、とおおらかに構えますか?
確かに、幼児に微積分の問題を突きつけて、解けないからと言ってがっかりする人はいません。
同じように、「目を見てポン」ができなかったのは、お子さんの心の発達の状態と、このゲームの難易度が「現時点では」マッチしていなかったというだけの話、と考えることもできます。
しかし、一回やってみただけで「できなかった」と結論づけてしまうのはちょっと待ってください。
ちょっと待って、と私が言う理由は、「もしかしたらもっとできた」という可能性があるからです。
発達心理学の分野では、幼児が○○できるようになるのは何歳からなのか、が問題になることがあります。
その研究の流れでよく見かけるタイプの論争。
研究者A 「我々の研究の結果○○できるようになるのは3歳頃からであるといえる」
研究者B「いーや、あなた方のやり方には問題がある。子供への尋ね方を工夫すれば、2歳児でも○○することは十分に可能である」
研究者C 「何言ってんの?こっちのやり方で調べたら1歳児でも全然OKじゃん」
研究者D「甘いな。我々の超絶技巧テストを使ったら、人間は生まれつき○○できることが分かったぜ!」
みたいな。
外野から見ていると、もう何でもかんでも「生まれつきできる」になりそうな勢いです。
要するに、幼児に何かやってもらおうとしたら、幼児に分かるようにお願いをして、幼児にやりやすい状況でやってもらう必要があるってことです。
同じ事が「目を見てポン」にも言えます。
「どこを見ているかな?」という質問。
実際にはいろいろな言い回しでお子さんに尋ねておられると思います。
そして
「真ん中の子が見ている物にたっちしてね」
なんていう説明もしたはずですよね?
もしその説明がお子さんに伝わっていなかったら?
「目を見てポン」で問題としている視線方向の理解が、お子さんには十分可能だったとしても、このゲームの主旨が伝わっていなかったら、正解はできないわけです。
もしかするとお子さんは、自分が気に入ったアイコンにタッチしていただけだったのかもしれません。
事実、イギリスに住む2歳の女の子のお母さんから、
最初のうちは全然できなかったけれど、何回か繰り返したらできるようになった
という報告がありました。
短時間のうちに女の子の心の発達が進んで、たちどころに視線方向判断ができるようになった、という可能性も…う〜ん…考えられなくは無いですが…話を聞いた限りでは、最初のうちに上手にできなかったのは、ゲームの主旨がうまく伝わっていなかったからの様です。
ですから、お子さんが間違えてばかりだったとしたら、ちょっと尋ね方を変えたり、ゲームの主旨が分かっているかどうかを再確認してみてください。
それでもできなかったら?
繰り返しになりますが、
幼児に微積分の問題を突きつけて、解けないからと言ってがっかりする人はいません。
同じように、「目を見てポン」ができなかったのは、お子さんの心の発達の状態と、このゲームの難易度が「現時点では」マッチしていなかったというだけの話、と考えることもできますよね。それに、ゲームの主旨を理解できるかどうか、という部分だって、「現時点での」心の発達状態と関係しているわけですから。
間違えても正しくできても、このゲームを楽しく遊んでいただけるとうれしく思います。