blogTitle.png
p < .05 公式ブログ
もしもノットの間隔が1秒きざみだったら?
アンノッティングの考察 | comments(0)


Unknottingのルールでは、ノットとノットの間隔は1分となっている。これがもし1秒間隔であったならば、駿府城公園付近には上の図のように膨大な数のノットが分布することになる。

南北方向の間隔は約30mで、東西方向の間隔は駿府城公園付近だと約20mとなる(緯度によって変わる)。


駿府城公園内を適当に散歩しただけでも大量のノットをほどくことができるのがわかると思う。

ノットの間隔が短ければ短いほど、そこらじゅうに無数のノットが分布することになり、より気軽にこの遊びを遊べるようになるというメリットが得られる。が、同時に一つ一つのノットの価値は下がることになるのではないか(株価みたいだ!)。

ノットの価値と自分でもよく考えずに書いたが、おそらく一つ一つのノットに到達したときに得られる達成感の高さを、私の言語処理系は言おうとしているのではないかと思う。1秒間隔ルールの下では、駿府城公園内だけで100を越えるノットが存在するわけで、その一つ一つに思い入れのようなものを持とうとするのは難しそうである。一つや二つのノットに到達できても大きな感動は得られないであろうし、逆に、到達不能なノットがあったとしても、特にどうとも思わないであろう。何せ、ノットはいくらでもあるんである。


現状では、ノット間の距離はこれだけ離れている。南北方向におよそ1.8kmで、東西方向は駿府城公園付近だと1.5kmである。これだけの距離があると、徒歩での移動でも何とかならないことはないが、それなりのモティベーションが必要になるだろうし、自転車等の移動支援装置を使うことを考えたくもなるであろう。

ノットへの移動には無視できない労を強いられるわけだから、到達できたならばそれだけでよろこびがあるし、実際に行ってみるとノットが立入禁止区域内に存在していて到達できなかったとなれば、大きな落胆を覚える。

この喜びと落胆こそがUnknottingの醍醐味であると私は感じている。

のであるが、それってはっきり言ってマゾだと思うんである。マゾ的な側面が多かれ少なかれ含まれていると思うんである。マゾという表現が妥当でないとしたら、ストイック、とでも言い直せばよいであろうか。ならば、「ストイックな大人達のための遊び、Unknottingでは、ノットの間隔は1分が適当」、ということにしておこう(うん、きっとそうだはず!)。
 

 

追記:後に追加されたディスペリングモードは、本稿の内容を多少修正して実現したもの。




コメント